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マイ・ジェネレーション(''My Generation'')は、1965年12月にリリースされたイギリスのロック・バンド、ザ・フーのファースト・アルバム。発売元はブランズウィック・レコード。プロデューサーは、キンクスなどをてがけたシェル・タルミー。 アメリカでは『''The Who Sings My Generation''』のタイトルで、収録曲を変えて1966年4月にリリースされた(発売元は米デッカ・レコード)。 『ローリング・ストーン』誌が選んだ「オールタイム・ベスト・アルバム500」と「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」に於いて、それぞれ237位〔500 Greatest Albums of All Time: The Who, 'The Who Sings My Generation' | Rolling Stone 〕と94位〔The 100 Best Debut Albums of All Time: 'The Who Sings My Generation' | Rolling Stone 〕にランクイン。 ==解説== ザ・フー名義でのデビュー・シングル「アイ・キャント・エクスプレイン」を1965年1月にリリースしたバンドは、同年3月19日と4月12日〜14日、IBCスタジオにて、デビュー・アルバムのレコーディングを行った。本来の予定では7月のリリースで、アセテート盤まで製作されたが、これが月刊誌「ビート・インストゥルメンタル」のレビューで酷評を受けたため一度棚上げし、同年10月13日から14日にかけて再レコーディングされ、さらに全英2位の大ヒットとなった3枚目のシングル「マイ・ジェネレーション」も収録し、12月3日にリリースされた〔2002年版デラックス・エディション付属のアンディ・ニールによる解説より〕。当時のバンド内では常に喧嘩が絶えず、レコーディングは非常にとげとげしい雰囲気の中で行われていたという〔ニール、ケント・p74〕。実際に、同年9月にはロジャー・ダルトリーが他のメンバー3人と衝突し、あわや脱退というところまで来ていた〔『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』75頁〕。 全12曲中9曲がオリジナル曲であり、残る3曲はメジャー・デビュー前より彼らが演奏していたR&Bや初期モータウンのナンバーのカバーである。ザ・フーのオリジナル・アルバムの中では最もカバー曲の占める割合が高いが、ローリング・ストーンズやキンクスといった同年代のロック・バンドのデビュー・アルバムと比較すれば少ない方である。これは前述の「ビート・インストゥルメンタル」のレビューが、オリジナル曲が少ない事がマイナス評価された事が要因と見られる〔。本作は全英チャートの5位につけるヒットとなったが〔Official Charts Company: 〕、メンバーからの自己評価は低く、ピート・タウンゼントにいたっては「あんなのは最悪だ、ゴミ同然だよ」と散々にけなしている〔。 1966年、バンドはプロデューサーのシェル・タルミーと印税の取り分をめぐって対立し、タルミーとの契約を破棄するが、タルミーは「自分のプロデュース作品は自分に著作権がある」と主張し、本作の版権とマスターテープを握っていた。1967年になるとブランズウィックが閉鎖し、本作は廃盤となってしまう〔アルティミット・ガイド・p62〕。以降、長きに渡り本作がザ・フーのカタログから姿を消す事になった。 アメリカではザ・フーとタルミーが決別した1966年4月になってからリリースされている。米国盤ではジャケットをビッグ・ベンを背景にした4人のメンバーを写した写真に差し替え、収録曲についても若干変更した。また、英国盤ではモノラル・ミックスのみでのリリースだったが、米国盤ではモノラルと擬似ステレオの2バージョンでリリースした〔。 日本でもテイチク・レコードから1966年にリリースしたが〔2002年版デラックス・エディション(日本版)付属の保科好宏によるライナー・ノーツより〕、収録曲が英国、米国両盤とも異なっている〔アルティミット・ガイド・p91〕。またジャケットも独自のものとなっており、中央に立つ女性の右脇にメンバー4人の顔をはめ込んだデザインとなっているが、このジャケットは既存のものを使いまわしており、脇のアーティスト写真だけを挿げ替えた全く別のレコードも存在する〔アルティミット・ガイド・p12〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マイ・ジェネレーション (アルバム)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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